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新たな展開

さて、今月も今日で最後となりました。
今月の25日に卒業式がありまして、これで2回目となるのですが、
来月の8日には、又入学式があって、「もういいかな」なんて
考えてしまいますが、式後のオリエンテーションに参加しないと
奨学金の申請ができないので、式自体にでる他ありません。

ここで、色々思いをめぐらしてしまうのですが、
というのも、私の人生を振り返ってみると、過去の自分から
みれば、私が大学院なんて行くとは思ってもみなかったわけで、
それは、過去の私を知っている人なら、同じことを思うでしょう。

それほど意外でありまして、どこで頭を打ったやら・・・(笑)
大学院に進学することは、最近では、特別なことではないようですが、
人それぞれ、理由があるでしょう。

私に限っていえば、社会にまったく役に立たないようなことを勉強する
わけですから、人によっては、賛否両論でしょう。別に批判的に見られ
ても、私としてはよいわけですが、勝手に批判しててください(笑)

他方で、将来二ついても考えてしまうのですが、これもまた、人間の
性質なのかもしれません。理性とは、やっかいですね。時には、考え
すぎて、自暴自棄になることがあるので、考えすぎもよくないのでしょう。

「考えることで、何もできないことがある」という言葉は、何かの本で、
読んで、すごく印象的だったのですが、これもまた、真理だと思います。
かといって、考えることをやめてしまってよいというわけではない。
少なくとも学問は、考え続けるものです。
最近の社会状況をみると、たとえば、資格社会ともいうことができるでしょう。
それだけ、社会は実践的で役に立つ人物を求めていることのあらわれですが、
別に資格を取ってはいけないというわけではないのですが、資格を取れば、
安泰的な雰囲気があるのは、気がかりではあります。資格は万能ではないです。
なぜならな、その資格が適用される範囲は決まってますから。ですから、たとえば、
宅建をもっていても、それが適用される企業でなければ、取る意味がない。
企業側からすれば「がんばったね」「すごいね」で終わるのです。ですから、資格を取る
といっても取ればよいというものではないのです。

考えれば当然のことですが。

ここで問題なのが、資本主義社会は、役に立つ、即戦力になる人材を求めていると
いいましたが、それは、役に立つ、即戦力になる学問以外意味がないことを示唆して
いるのでしょうか。少なくとも、そう解釈することは可能です。そうだとして、
それ以外の学問は本当に無意味か。私の立場としては、そうではないといわねばなり
なせん。その意義は、つまり学問をすることの意義を言っているわけですが・・・
これ以上はいえません。それぞれで、考えてみてください(笑)

ところで、社会とは何でしょうか。よく聞きますが、「社会を知らない・・・」ということは、
どういうことでしょうか。そういう人のいう「社会」とはなんなのか。その人が言う社会
が「社会」なのか。

私は、「社会」は複数あると思われます。「他人の数だけ自分は存在する」ことの言
い換えで、「人の数だけ社会も存在する」のではないでしょうか。これは、人が社会を
語るときに限っていえることです。なぜなら、人は、同じ価値観で生きてはいない。
それぞれの経験によって、視点がことなるからであります。それは、社会を語るときの
価値観の相違にも当てはまるでしょう。

ここで注意しなければならないのは、「社会」が複数だからといって、ある人が経験した
社会が絶対ではないということです。絶対としてしまったら、個人主義の負の面―すなわ
ち、偏狭な世界への引きこもり―と同じく、偏狭になってします。そうではなくて、相互性
が重要だということです。関係性といってもよいでしょう。

人間は、他者との相互性、関係性の中で、更なる経験をしていくものです。
「経験が経験を生む」のです。「永続的な経験のあり方」こそ、社会だと思います。
この積み重ねが、社会を経験すると言うことであると思います。
そこで、自分が経験していなかった社会で、更なる経験をしていくことで、社会性
―社会への適合性を身に着けていくものだと思います。

私は、大学も社会であると思います。また、アルバイトも社会であります。
実際に就職することも社会であります。その連続性、ないし、相互性の認識が重要
であるのです。

社会を知ることに優劣などない。確かに、経験量には、絶対的な違いがでます。
それは至極当然のことでありまして、それが問題ではなのではない。より重要なの
は、経験してきたことをどう作用させるのかであると思います。

つまり、経験量の多い人は、少ない人に対して「社会を経験していないから・・・」
と一蹴するのではなく、また、逆に、経験量の少ない人は、多い人に対して
「経験していないのだから言われても困る」と返すのではなく、相互了解するためには
経験量の多い人も少ない人も、「先例」や「アドバイス」ということを念頭におく必要が
あるでしょう。これは、あくまで、相互了解のための1つのあり方でありますが、これを
認識していない人ほど、「我」を通しているような気がするのです。

ここでは、社会が複数あることを前提として話しましたが、社会経験の普遍性という見
方もできます。「社会を経験していないから・・・」という人は、もしかしたら、社会経験
の普遍性を前提としているのかもしれません。機会がありましたら、「社会経験の普
遍性」についても考えてみたいと思います。

2008年03月31日 Daily Life トラックバック:- コメント:1

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2008年08月24日 URL 編集












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