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もの忘れ???
最近、物忘れがひどい。
バイトが終わった後、駐車場へとメールをしながら向かっていて、「送信」ボタンを押したのまでは良かったのですが、その後、ケータイを、何を思ったのか車のルーフの上に置いたのです!
それを忘れていて、1キロ以上はしっていました。気づいたのは交差点で止まったときです。ケータイは落ちていませんでした。奇跡です。
それとか、風邪が治りかけていたとき、完全に治るまで薬を飲もうか、それとも自然治癒力に任せるか悩んでいたときのこと。
私の選択は後者でしたが、喉が渇いたので冷蔵庫へ行き、水を飲みました。そして、薬も・・・。1分前の選択って・・・。
はぁ↓↓
バイトが終わった後、駐車場へとメールをしながら向かっていて、「送信」ボタンを押したのまでは良かったのですが、その後、ケータイを、何を思ったのか車のルーフの上に置いたのです!
それを忘れていて、1キロ以上はしっていました。気づいたのは交差点で止まったときです。ケータイは落ちていませんでした。奇跡です。
それとか、風邪が治りかけていたとき、完全に治るまで薬を飲もうか、それとも自然治癒力に任せるか悩んでいたときのこと。
私の選択は後者でしたが、喉が渇いたので冷蔵庫へ行き、水を飲みました。そして、薬も・・・。1分前の選択って・・・。
はぁ↓↓
「近代」がもたらしたもの?
最近、風邪を引きました。
体温は、37度半ばで上がりもせず下がりもしない。
そんな状態が続いています。
それでも、勉強しないといけないので、気合と根性
で何とかやっています。不思議と勉強している時は、
熱が下がっているという奇妙な事が起こったり済ます(苦笑)
私の選考は、政治思想史ないし政治理論なので、その分野の
本を読んでいますが、最近「近代」がマイブームです。
「近代」がもたらしたものっていったい???
「近代」といえば・・・
ある教授の言葉を借りれば、「近代が生み出したものは3つある。自由主義と社会主義、そしてアメリカニズムだ」。
確かに、そうである。その3点に共通するのが「理性」。
欧米人は「理性」の絶対性や万能性を過大評価してきた?かどうかはわかりませんが、とにかく近代には、理性を基調とした合理主義がある。
この合理主義が、言ってみれば資本主義といえる。これによって、大きく文明は発展することができたことは否定できない。「自由」という概念がもたらしたものは計り知れない。ところが、これに対抗する形で登場してきたのが、マルクス主義であり、「平等」を強調していた。マルクスが『資本論』で資本主義の欠点を告発した内容は、まさに今現在の社会に当てはまる。しかし、1989年、実質的に一国社会主義を唱えていたソ連が崩壊した。
藤原保信の言葉を借りれば、「自由主義は勝利したのか?」。この「?」がポイントである。欧米の先進諸国、特に英、米は「勝利!」というロジックを展開している。本当に???
逆に、私は社会主義は死んでいないと主張する。実際に生きているが、それは純粋に「社会主義」ではない。社会民主主義としてである。
そして、刻々と「ポスト・リベラルデモクラシー」に近づいている傾向にある。
「近代」がもたらしたものの最たるものがアメリカニズム=グローバリゼーションだ。アメリカ型資本主義が世界を支配している。アメリカ的保守の支配である。歴史とは面白いもので、「繰り返す」原理から、アメリカ型資本主義に対して、不満がたまっていて、それに対して、修正、是正、克服、超越?、などいろいろ言われているのが、現代の政治哲学の世界である。それを支持するのはオーストリア学派やシカゴ学派のリバタリアンくらいなもの。
佐伯啓思がいった。「われわれは、どこまでいっても前近代か近代かを混融を生きるほかない」と。この文章自体には、間違いはないと思う。
ちなみに言っておくと、私は「ポスト・モダン」には懐疑している人間である。
では、どうするか。アメリカニズムは無いにしても、自由主義か社会主義か保守主義(この場合、全体主義や絶対主義を意味しない。どちらかといえば、共同体主義右派である)か、基本的にはこの3つが基本になって、社会システムや政治体制は作られるとするならば、いずれも「極」に値する領域へはいけないだろう。それは歴史が証明しているのだから。
菊池理夫は、この点で、現在の対立点は「中道左派か中道右派の対立」といったように、変化してきている。
より細分化すれば、現在の政治思想ないし理論では、功利主義、リバタリアニズム、リベラルな平等、共同体主義、社会主義、多文化主義、シティズンシップ、フェミニズムなど、種々にわたるが、どの立場も少なくとも1つは正当化できるものを持っており、消去法が聞かない=非合理的である。
このある種の多元主義化で、絶対よいものなど無いと主張し、全て価値あるものとしたところでは何の意味の無い。単なる価値相対主義に陥るだけである。
では、どうするのか。絶対性を強調しないで、普遍主義を説くのか??さらに言えば、普遍主義は正当なのか?・・・・・・
このような状況である。ただし、結局どれかを選択せざるをえない。
規範理論としての政治理論、思想、哲学において、「国家がどうあるべきか」という問いはプラトン以降永遠のテーマのようである。
体温は、37度半ばで上がりもせず下がりもしない。
そんな状態が続いています。
それでも、勉強しないといけないので、気合と根性
で何とかやっています。不思議と勉強している時は、
熱が下がっているという奇妙な事が起こったり済ます(苦笑)
私の選考は、政治思想史ないし政治理論なので、その分野の
本を読んでいますが、最近「近代」がマイブームです。
「近代」がもたらしたものっていったい???
「近代」といえば・・・
ある教授の言葉を借りれば、「近代が生み出したものは3つある。自由主義と社会主義、そしてアメリカニズムだ」。
確かに、そうである。その3点に共通するのが「理性」。
欧米人は「理性」の絶対性や万能性を過大評価してきた?かどうかはわかりませんが、とにかく近代には、理性を基調とした合理主義がある。
この合理主義が、言ってみれば資本主義といえる。これによって、大きく文明は発展することができたことは否定できない。「自由」という概念がもたらしたものは計り知れない。ところが、これに対抗する形で登場してきたのが、マルクス主義であり、「平等」を強調していた。マルクスが『資本論』で資本主義の欠点を告発した内容は、まさに今現在の社会に当てはまる。しかし、1989年、実質的に一国社会主義を唱えていたソ連が崩壊した。
藤原保信の言葉を借りれば、「自由主義は勝利したのか?」。この「?」がポイントである。欧米の先進諸国、特に英、米は「勝利!」というロジックを展開している。本当に???
逆に、私は社会主義は死んでいないと主張する。実際に生きているが、それは純粋に「社会主義」ではない。社会民主主義としてである。
そして、刻々と「ポスト・リベラルデモクラシー」に近づいている傾向にある。
「近代」がもたらしたものの最たるものがアメリカニズム=グローバリゼーションだ。アメリカ型資本主義が世界を支配している。アメリカ的保守の支配である。歴史とは面白いもので、「繰り返す」原理から、アメリカ型資本主義に対して、不満がたまっていて、それに対して、修正、是正、克服、超越?、などいろいろ言われているのが、現代の政治哲学の世界である。それを支持するのはオーストリア学派やシカゴ学派のリバタリアンくらいなもの。
佐伯啓思がいった。「われわれは、どこまでいっても前近代か近代かを混融を生きるほかない」と。この文章自体には、間違いはないと思う。
ちなみに言っておくと、私は「ポスト・モダン」には懐疑している人間である。
では、どうするか。アメリカニズムは無いにしても、自由主義か社会主義か保守主義(この場合、全体主義や絶対主義を意味しない。どちらかといえば、共同体主義右派である)か、基本的にはこの3つが基本になって、社会システムや政治体制は作られるとするならば、いずれも「極」に値する領域へはいけないだろう。それは歴史が証明しているのだから。
菊池理夫は、この点で、現在の対立点は「中道左派か中道右派の対立」といったように、変化してきている。
より細分化すれば、現在の政治思想ないし理論では、功利主義、リバタリアニズム、リベラルな平等、共同体主義、社会主義、多文化主義、シティズンシップ、フェミニズムなど、種々にわたるが、どの立場も少なくとも1つは正当化できるものを持っており、消去法が聞かない=非合理的である。
このある種の多元主義化で、絶対よいものなど無いと主張し、全て価値あるものとしたところでは何の意味の無い。単なる価値相対主義に陥るだけである。
では、どうするのか。絶対性を強調しないで、普遍主義を説くのか??さらに言えば、普遍主義は正当なのか?・・・・・・
このような状況である。ただし、結局どれかを選択せざるをえない。
規範理論としての政治理論、思想、哲学において、「国家がどうあるべきか」という問いはプラトン以降永遠のテーマのようである。
嘆き
ほしい本に限って、すでに絶版になっている
悲しいかな
たとえば、塩野谷祐一の『価値理念の構造−効用対権利−』や藤原保信の『自然観の構造と環境倫理学』などなど。
しかも、コミュニタリアンの著作も絶版傾向になりつつある。
早めに購入しなければ!!!と思いつつも、お金がない(泣)
最近は、できるだけ古本で購入している
古本探しも、楽しいひと時だ。
最近の掘り出し物は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』だった。
定価1600円が・・・なんと105円(笑)
最初は、古本に抵抗があったが、古本の「良さ」がわかってきたように思う。
たとえば、古本に線引きしてあったとする。これもどこか愛嬌を感じるのは私だけ???
まぁさすがに、馬鹿みたいに線引きしてあると買う気にならないし、そもそも古本屋にそんな本はないと思うが・・・。
カント全集とヘーゲル全集、福田歓一著作集、藤原保信著作集など、
自分好みの哲学者などの全集ないし著作集を一作品づつ大人がすることが夢となった(苦笑)
悲しいかな
たとえば、塩野谷祐一の『価値理念の構造−効用対権利−』や藤原保信の『自然観の構造と環境倫理学』などなど。
しかも、コミュニタリアンの著作も絶版傾向になりつつある。
早めに購入しなければ!!!と思いつつも、お金がない(泣)
最近は、できるだけ古本で購入している
古本探しも、楽しいひと時だ。
最近の掘り出し物は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』だった。
定価1600円が・・・なんと105円(笑)
最初は、古本に抵抗があったが、古本の「良さ」がわかってきたように思う。
たとえば、古本に線引きしてあったとする。これもどこか愛嬌を感じるのは私だけ???
まぁさすがに、馬鹿みたいに線引きしてあると買う気にならないし、そもそも古本屋にそんな本はないと思うが・・・。
カント全集とヘーゲル全集、福田歓一著作集、藤原保信著作集など、
自分好みの哲学者などの全集ないし著作集を一作品づつ大人がすることが夢となった(苦笑)





