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らしさ


「BlueSKY」といいながら、今まで、そういったモノを掲載
していなかったような気がします。
私は風景写真が好きで、いつも何かあるごとに写真を
とっているのですが、今まではケータイの写メでした。
最近、キャノンのIXYをプレゼントされ、デジカメデビューです。
デジカメの威力は凄まじいですね(笑)
上の写真は、デジカメではなく、ケータイで撮影したものです。
確か・・・
去年の・・・
8月かなぁ・・・
そうだ! M先生がスコットランドから帰国して、帰国後、初飲み会
をした時の写メです。
その居酒屋に行く途中で撮影したモノです。
別に何気ない写真ですが、空の青さが際立って、澄んでいると思います。
また、一見邪魔な電線ですが、これが空の青さを際立たせているような
気がします(^^)
これをデジカメで撮影したかった(^^)
ところで、風景写真って、それを撮影している人の心が投影されている
と思ったことはないですか???
もしそうなら、上の写真も・・・
Post・・・
最近、やたらに「ポスト・・・」をみかける。
例えば、ポスト・モダニティ、ポスト・アメリカニズム、ポスト・デモクラシーなどである。「ポスト」とは、「〜のあとで・・・」のような意味合いがある。今日、この「ポスト」が目立つのは、それなりの理由があるのだろう。世界的な変革期に差し掛かっているのではないだろうか。
たとえば、『ポスト・デモクラシー』(07年3月)という本がある。
同書は、英国の社会経済学者のコリン・クラウチ氏の幾つかの論文を寄せ集めて、本となったものであるが、彼の論文は、ヨーロッパ圏で論争を巻き起こしているらしい。
また、最近、イタリアの哲学者グラムシが注目されているようだ。彼の主張とアメリカニズムがリンクして、現代世界の「アメリカニズム」的潮流への限界が展開されているようだ。
さらに、マルチ・カルチャニズム、コミュニタリアニズムなどの台頭により、あくまで政冶理論、あるいは政治思想で、複雑化している。
しかし、「ポスト・・・」というわりには、最近の国際情勢を見てみると現実政治においては、保守傾向にある。たとえば・・・
アメリカの政党制の展開とアメリカ独自のイデオロギーの展開を見てみると、今日、保守主義とリベラリズムの対立は、ネオコンとニューデモクラット(右派傾向)との対立に変化している。ただ、アメリカでも、この対立軸の鮮明度が薄れてきているのではないだろうか。2008年の米国大統領選を控えているアメリカでは、選挙戦に向け、国内で候補者の主義主張が展開されている。が、民主党優位に傾いているといえでも、その民主党の主張も、大して共和党保守とは、大差はない。特に外交政策においては。経済政策では、民主党リベラルの経済政策は伝統的には、福祉国家的であるが、ニューデモクラット勢力の論理は必ずしもそうではない。
また、この間、フランス大統領選挙があって、サルコジ氏が勝つ結果となったのだが、結局は、両候補とも移民政策では大差はなく、経済政策では、サルコジ氏の勝利により、自由主義と福祉国家という対立軸においては、前者が勝利したことになる。労働者の中核をなす若い世代の判断の結果である。福祉国家の伝統がこの瞬間、沈黙したのである。
このように、といっても、アメリカとフランスの例をあげただけであるが、中国とインドの発展とリンクして、経済的には、資本主義(自由主義)がより推進されている。「より自由に・・・」が蔓延している。民主主義も同義である。最近では、「デモクラシー=民主主義」が問い直されている。日本語訳は問題なのである。
資本主義(自由放任主義)やデモクラシー(あえて、民主主義とは言わない)が、特にアメリカによって美化されており、その傾向が比較的若い世代に支持されているということである。これが、世界的保守化の要因の一つであろう。(このような状況が、アメリカが第1次大戦以降、美化してきた自由民主主義に拍車をかけ、これこそアメリカの正当化理由であるといえる)
この保守的現象の中で、「ポスト・・・」が流行っているのは、現実政治における、その基盤となるイデオロギー的潮流が変化していることを示唆することができる。仮に、世界経済の中心が資本主義であり、その源がエネルギーであり、特に有限資源である石油であるならば、少なくとも50年後には、国際情勢における経済と政冶は、大きな転換期を迎えることになるだろう。さらに、地球温暖化は、今よりも深刻になり、その対策費で各国、特に資本主義に依拠している諸国家は、激しくどうようするのではないだろうか。
そして、この時に、マルチカルチャニズムやコミュニタリアニズムなどの新たなアイデンティティがどのように政治経済に作用しているかが、ポイントとなるのではないだろうか。これらの立場は、相互に対立してる概念んであるが、共存は可能であると、漠然と考えている。また、現実的な面として、エネルギー問題や環境問題には、「時間と金」がかかることは自明であり、資本家や保守の政治家が最も苦手な「忍耐」が問われる時代に入っていると考えられる。そして、将来的に自由民主主義が衰退過程に入ると、本格的に「ポスト・・・」が現実味を帯びてくると考える。
例えば、俗にいう「権利基底的リベラリズム」の立場、つまり、ロールズ的なものが「ポスト・リベラルデモクラシー」とも考えられる。が、恐らく、その前に、リベラルデモクラシーの修正があることであろう。なぜなら、まだまだ、生きている論理であるからである。
非常に抽象的な考えなので、これから、この分野の考えをまとめていこうかと思います。
例えば、ポスト・モダニティ、ポスト・アメリカニズム、ポスト・デモクラシーなどである。「ポスト」とは、「〜のあとで・・・」のような意味合いがある。今日、この「ポスト」が目立つのは、それなりの理由があるのだろう。世界的な変革期に差し掛かっているのではないだろうか。
たとえば、『ポスト・デモクラシー』(07年3月)という本がある。
同書は、英国の社会経済学者のコリン・クラウチ氏の幾つかの論文を寄せ集めて、本となったものであるが、彼の論文は、ヨーロッパ圏で論争を巻き起こしているらしい。
また、最近、イタリアの哲学者グラムシが注目されているようだ。彼の主張とアメリカニズムがリンクして、現代世界の「アメリカニズム」的潮流への限界が展開されているようだ。
さらに、マルチ・カルチャニズム、コミュニタリアニズムなどの台頭により、あくまで政冶理論、あるいは政治思想で、複雑化している。
しかし、「ポスト・・・」というわりには、最近の国際情勢を見てみると現実政治においては、保守傾向にある。たとえば・・・
アメリカの政党制の展開とアメリカ独自のイデオロギーの展開を見てみると、今日、保守主義とリベラリズムの対立は、ネオコンとニューデモクラット(右派傾向)との対立に変化している。ただ、アメリカでも、この対立軸の鮮明度が薄れてきているのではないだろうか。2008年の米国大統領選を控えているアメリカでは、選挙戦に向け、国内で候補者の主義主張が展開されている。が、民主党優位に傾いているといえでも、その民主党の主張も、大して共和党保守とは、大差はない。特に外交政策においては。経済政策では、民主党リベラルの経済政策は伝統的には、福祉国家的であるが、ニューデモクラット勢力の論理は必ずしもそうではない。
また、この間、フランス大統領選挙があって、サルコジ氏が勝つ結果となったのだが、結局は、両候補とも移民政策では大差はなく、経済政策では、サルコジ氏の勝利により、自由主義と福祉国家という対立軸においては、前者が勝利したことになる。労働者の中核をなす若い世代の判断の結果である。福祉国家の伝統がこの瞬間、沈黙したのである。
このように、といっても、アメリカとフランスの例をあげただけであるが、中国とインドの発展とリンクして、経済的には、資本主義(自由主義)がより推進されている。「より自由に・・・」が蔓延している。民主主義も同義である。最近では、「デモクラシー=民主主義」が問い直されている。日本語訳は問題なのである。
資本主義(自由放任主義)やデモクラシー(あえて、民主主義とは言わない)が、特にアメリカによって美化されており、その傾向が比較的若い世代に支持されているということである。これが、世界的保守化の要因の一つであろう。(このような状況が、アメリカが第1次大戦以降、美化してきた自由民主主義に拍車をかけ、これこそアメリカの正当化理由であるといえる)
この保守的現象の中で、「ポスト・・・」が流行っているのは、現実政治における、その基盤となるイデオロギー的潮流が変化していることを示唆することができる。仮に、世界経済の中心が資本主義であり、その源がエネルギーであり、特に有限資源である石油であるならば、少なくとも50年後には、国際情勢における経済と政冶は、大きな転換期を迎えることになるだろう。さらに、地球温暖化は、今よりも深刻になり、その対策費で各国、特に資本主義に依拠している諸国家は、激しくどうようするのではないだろうか。
そして、この時に、マルチカルチャニズムやコミュニタリアニズムなどの新たなアイデンティティがどのように政治経済に作用しているかが、ポイントとなるのではないだろうか。これらの立場は、相互に対立してる概念んであるが、共存は可能であると、漠然と考えている。また、現実的な面として、エネルギー問題や環境問題には、「時間と金」がかかることは自明であり、資本家や保守の政治家が最も苦手な「忍耐」が問われる時代に入っていると考えられる。そして、将来的に自由民主主義が衰退過程に入ると、本格的に「ポスト・・・」が現実味を帯びてくると考える。
例えば、俗にいう「権利基底的リベラリズム」の立場、つまり、ロールズ的なものが「ポスト・リベラルデモクラシー」とも考えられる。が、恐らく、その前に、リベラルデモクラシーの修正があることであろう。なぜなら、まだまだ、生きている論理であるからである。
非常に抽象的な考えなので、これから、この分野の考えをまとめていこうかと思います。
我々の立場
最近、H先輩の「メディアの報道のあり方」という問いがあった。
そこで先輩は、メディアの本質を見失わせる「言葉狩り」を批判していた。
私の論は・・・
「なるほど、先輩の言わんとしていることはわかりました。「メディアの過剰反応は、時には問題の本質を見失わせてしまう」ということですね。
確かに、メディアの報道は大衆に対して、大きな影響力を持ちます。極端に言えば、メディアが国民を操作することもできなくもないくらいに。ですから、メディア側も「公」のなのですから、政治家と同じく、報道内容を大衆に伝える際には、よく咀嚼して吟味してから舌にのせなくてはなりませんよね。
ここでは、政治(家)も(マス・)メディアも、必ずしも信用におけないものであることを認識した、あるいは、しているのであるなら、ある程度、対象を批判的に見る視点を持つことがポイントとなるでしょう。
ですが、今日、大衆の側がそうではなく、政冶家やメディアの思う壺にはまっていることが多いのは、心情的な大衆を巧みに利用していることです。ここでは、大衆の側にも問題があると思います。
政治家の失言は、メディアが批判的に報道して、それを心情的な大衆が何の疑いもなく受け入れるのは、メディアに対する疑いがない証でしょう。これは、マジックです。大衆はそのマジックで見失わされていると思います。
大衆は、「情報」を疑おうとしないことが問題なのです。
仮に、西山事件の際、大衆の側に問題の本質を理解する見方をもっていたのなら、あるいは、試みていなのなら、批判の的は政府へ向けられていたのかもしれません。
変な言い方ですけど、政冶(家)とメディア、そして、大衆という3つの勢力の均衡において、特に大衆の側がどう物事を見るか、その視点のあり方がどうあるべきかが、いってみれば、民主主義国家における主権者の役目といえるでしょう」
である。
要は、「公」と「私」の問題である。政治家の失言とそれを報道するメディア、その報道をみる大衆。この場合、最も影響を受けるのは、良くも悪くも大衆である。
そこで先輩は、メディアの本質を見失わせる「言葉狩り」を批判していた。
私の論は・・・
「なるほど、先輩の言わんとしていることはわかりました。「メディアの過剰反応は、時には問題の本質を見失わせてしまう」ということですね。
確かに、メディアの報道は大衆に対して、大きな影響力を持ちます。極端に言えば、メディアが国民を操作することもできなくもないくらいに。ですから、メディア側も「公」のなのですから、政治家と同じく、報道内容を大衆に伝える際には、よく咀嚼して吟味してから舌にのせなくてはなりませんよね。
ここでは、政治(家)も(マス・)メディアも、必ずしも信用におけないものであることを認識した、あるいは、しているのであるなら、ある程度、対象を批判的に見る視点を持つことがポイントとなるでしょう。
ですが、今日、大衆の側がそうではなく、政冶家やメディアの思う壺にはまっていることが多いのは、心情的な大衆を巧みに利用していることです。ここでは、大衆の側にも問題があると思います。
政治家の失言は、メディアが批判的に報道して、それを心情的な大衆が何の疑いもなく受け入れるのは、メディアに対する疑いがない証でしょう。これは、マジックです。大衆はそのマジックで見失わされていると思います。
大衆は、「情報」を疑おうとしないことが問題なのです。
仮に、西山事件の際、大衆の側に問題の本質を理解する見方をもっていたのなら、あるいは、試みていなのなら、批判の的は政府へ向けられていたのかもしれません。
変な言い方ですけど、政冶(家)とメディア、そして、大衆という3つの勢力の均衡において、特に大衆の側がどう物事を見るか、その視点のあり方がどうあるべきかが、いってみれば、民主主義国家における主権者の役目といえるでしょう」
である。
要は、「公」と「私」の問題である。政治家の失言とそれを報道するメディア、その報道をみる大衆。この場合、最も影響を受けるのは、良くも悪くも大衆である。
黄砂
黄砂の季節がやってきましたね。
黄砂とは、中国から偏西風に乗ってやってくる砂漠の砂です。
近年、中国では、砂漠化が問題となり、それと比例して黄砂の量も多くなっているようです。
従来よりも黄砂の量が多くなっているため、周辺諸国である韓国や日本への影響も大きくなってきています。
黄砂の影響にも様々なものがありますが、次に示すものは実に怖いものです。
最近、経済大国として発展している中国では、工場の数が多くなり、その分、排出される煙も多くなっています。普通に考えると、これだけでも今日の環境問題としては十分に問題視されることなのですが、これに加えて、黄砂が関係してきます。
つまり、従来の黄砂は、粒子が丸かったのですが、この粒子が工場から排出される煙に含まれる化学物質と結合し、尖ってきているのです。
なぜ、このことがわかったかというと、黄砂の被害で最も影響を受けている韓国で、この黄砂を吸った人が癌になったからです。
そうです。最近の黄砂は発がん性があるのです。
ゆえに、韓国では大問題となり、日本でも同じく問題視されています。
その対策ですが、外に洗濯物を干さないこと、マスクを常時すること、窓を開けないことなどがあります。
このことは、韓国や日本にとって死活問題です。
中国の砂漠化と最近の工業発達により、海外にまで環境問題が侵攻する事態は、日本と韓国にとって何の利益にもならないことです。
黄砂自体は仕方ないにしても、工場からの排煙はどうにかすることができる。
ただ、中国にとっては、環境問題自体どうでもいいのでしょう。なぜなら、旧発展途上国の経済発展の方が優先されてしまうからです。
時、既に遅し・・・・・!?
黄砂とは、中国から偏西風に乗ってやってくる砂漠の砂です。
近年、中国では、砂漠化が問題となり、それと比例して黄砂の量も多くなっているようです。
従来よりも黄砂の量が多くなっているため、周辺諸国である韓国や日本への影響も大きくなってきています。
黄砂の影響にも様々なものがありますが、次に示すものは実に怖いものです。
最近、経済大国として発展している中国では、工場の数が多くなり、その分、排出される煙も多くなっています。普通に考えると、これだけでも今日の環境問題としては十分に問題視されることなのですが、これに加えて、黄砂が関係してきます。
つまり、従来の黄砂は、粒子が丸かったのですが、この粒子が工場から排出される煙に含まれる化学物質と結合し、尖ってきているのです。
なぜ、このことがわかったかというと、黄砂の被害で最も影響を受けている韓国で、この黄砂を吸った人が癌になったからです。
そうです。最近の黄砂は発がん性があるのです。
ゆえに、韓国では大問題となり、日本でも同じく問題視されています。
その対策ですが、外に洗濯物を干さないこと、マスクを常時すること、窓を開けないことなどがあります。
このことは、韓国や日本にとって死活問題です。
中国の砂漠化と最近の工業発達により、海外にまで環境問題が侵攻する事態は、日本と韓国にとって何の利益にもならないことです。
黄砂自体は仕方ないにしても、工場からの排煙はどうにかすることができる。
ただ、中国にとっては、環境問題自体どうでもいいのでしょう。なぜなら、旧発展途上国の経済発展の方が優先されてしまうからです。
時、既に遅し・・・・・!?






